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10月18日の大阪府公園シリーズ 浜寺公園散策-1

10月20日        10月18日の大阪府公園シリーズ 浜寺公園散策-1
                   昼飲み会ハイキング 歩程約6km
此の日は、14:30~天王寺の居酒屋で月に一度の「昼飲み会」の為、13時頃から阿倍野の
銭湯で汗を流せるようなハイキングコース設定、昼飲み会に参加する4名と参加しない1名
の5名で歩く事に・・・
昼飲み会は、コース料理で2時間飲み放題を設定、今月は8名参加してわいわいガヤガヤ。
コース 羽衣駅~高石神社~浜寺公園  ・K場さん・S藤さん・M吉さん・M村さんと
4名で。 
南海羽衣駅(10:10着・10:15スタート)~羽衣濱神社~高石神社~高師浜駅・ロシア兵捕
虜収容所跡碑~臨海スポーツセンター(トイレ)~高石マリーナ・漁港~交通遊園・羽衣
公園~浜寺公園・バラ園(散策11:30昼食)~浜寺運河~浜寺公園駅(12:17発) →堺駅
(乗換)→天下茶屋駅(大阪メトロへ乗換)→動物園前駅(12:45)~徒歩10分~湯処 
あべの橋へ
飲み会不参加の1名は阿部野橋駅へ  4名は⇒湯処 あべの橋 @450円  14:00出発  
昼飲み会待ち合わせ場所へ 14:15着  14:30~17:00 居酒屋 甘太郎 8名で飲み会
此の日の私の万歩計は、17569歩で約10.5km歩いた・・・帰りに自宅直前で雨に・・・
志都美駅
右手の二上山は見えるが左手の葛城山山頂は雲に覆われて・・・
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南海羽衣駅(10:10着・10:15スタート)~
羽衣濱神社・・・大鳥羽衣浜神社
この神社は堺市にある大鳥大社の摂社にあたるのだそうです。
祭  神:両道入姫皇女
由  緒:境内看板を転載します。
「謹みて惟みるに創祀せられしは、文武天皇の御代にして、慶雲三年に鎮座せられ今
日に至るまで実に1260年有余年を経たる延喜式内の古社であります。
古くより井戸の守大明神と申し上げ、尊崇せられてまいりました。境内手水舎の井戸
水は古来霊泉として近郷近在より拝戴せられて居りました。
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高石神社
飛鳥後期に創建された古社であり、祭神に少彦名命・天照皇大御神・熊野坐三社を
祀っています。
由緒書によれば、創祀の詳細は不詳であるものの、白雉元年(650年)に創建された
と云われているそうです。
古くは天神の社として知られ、平安期には延喜式にも名を列した神社であるとされて
います。
主祭神
少彦名神(スクナヒコナ):オオナムチと共に国造りを成した神とされる
天照皇大御神(アマテラス):太陽を神格化した皇祖神であり、伊勢内宮の主祭神と
して有名
熊野坐三社
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高師浜駅・ロシア兵捕虜収容所跡碑
高師浜駅
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ロシア兵捕虜収容所跡碑
浜寺俘虜収容所の痕跡はほとんど何も残っていないが、南海電鉄・高師浜駅前に次の
ようなプレートがある。
プレートには次のように記されている。
「浜寺俘虜収容所跡 明治37年(1904年)より始まった日露戦争では、多くの俘
虜が日本に連行され、翌年1月第4師団司令部により、ロシア人俘虜収容所が設置され
ました。その範囲は紀州街道西側の北は芦田川から南は王子川に至る地域で、大部分が
高石村の土地でした。当時高石村の人口は約3、500人で、収容された俘虜は約
28、000人であり、村人にとっては大きな出来事でした。その後俘虜は、明治39
年(1906年)2月までには、全員ロシアに送還されました。
現在も高師浜2・4丁目、千代田2・4・6丁目一帯に残る整然とした道路は、俘虜収
容所の区画の名残と言われています。 1995年3月高石市」
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亡くなった捕虜のお墓は三光神社裏の陸軍墓地に?かと思っていたがそうではなかった。
高石市から南の泉大津市の市営墓地の一角に、ロシア人墓地がいまだにきれいに整備さ
れており、そこには収容所所長の隈部潜少将が記した記念碑もある様です。
2019年3月大阪アイスショー後のオフタイムに、高石市浜寺公園のロシア兵捕虜収容所
跡の日露友好記念碑にザギトワさんが訪れてニュースになった様です。

※日露戦争(1904~05年)では、全国29カ所の施設に約8万人のロシア兵捕虜
が収容されたとされる。大阪でも約3万人のロシア兵が、現在の堺市西区浜寺の海岸に
建てられた仮設テントに収容された後、1905年からは高石市高師浜に建設された捕
虜収容所に収容され、戦争終結後は全員がロシアに送還された。しかし、病気などによ
り89人が故国の地を踏むことなく亡くなった。泉大津市の住民が市営墓地の一角に約
600平方メートルの土地を提供し、ロシア兵のための墓地が造られた。以来、付近の
住民の手によって保全が行われてきたという。
敷き詰められた白石の中に建てられた墓石には、亡くなった89人の氏名がロシア語と
カタカナで刻まれ、所属部隊名の他に、兵士の宗教を表す紋が刻まれている。その多く
はロシア正教の十字架が刻まれている。

臨海スポーツセンター(トイレ)~高石マリーナ・漁港
高石マリーナ・漁港
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浜寺運河・浜寺公園へ向かう
防潮堤&水門
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浜寺運河・浜寺公園
日露友好之像
浜寺公園の一角に「日露友好之像」が建っている。平成14(2002)年5月に建立
され、碑文には「ロシアの勇猛果敢なる子が永遠に人々の記憶にとどまらんことを!」。
当時の小泉純一郎首相、プーチン大統領が署名している。
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明治37(1904)年2月から1年半に及んだ日露戦争では、約8万人の捕虜が日本
に送られた。うち最大時には2万8000人が浜寺に収容された。
当時の高石村の人口は約3500人だから、地元はさぞ驚天動地だったろう。
この地が選ばれたのは、陸軍第4師団の司令部が大阪に置かれていたのに加えて、
戦時には似つかわしくないが、気候温暖、風光明媚(めいび)が決め手になったという。
さかのぼる1899年、日本も参加してオランダ・ハーグで第1回万国平和会議が開か
れ、捕虜、傷病者に対する人道的な扱いが定められた。
日露戦争は会議後初めての大規模戦争であり、国際的に注視された。
一等国の仲間入りをめざす日本は、とりわけ捕虜の待遇に気を遣った。
動員2万人し突貫工事、電灯も完備
当初は次々に送られてくる捕虜をテントに収容したが、2万人近い大工や作業員を動員
して突貫工事で居住棟を建てた。診療所、礼拝堂、パン工場などが設けられ、日本語教
室も開かれた。まだ一般家庭に電気が行き届いていない時代に、収容所内ではどこも
電灯がついた。収容者には運動のために外出も許可され、毎朝隊列を組んで出かけ、
夕方に戻った。地元の住民との交流もあり、親しくなって家に招待される捕虜もいたと
いう。負傷者のために皇后陛下から義手、義足、義眼が贈られ、ロシア政府からは同盟
国だったフランスを介して手当金が支給された。
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浜寺公園・交通遊園
浜寺公園・・・大久保利通卿も愛した日本初の公立公園
かつて大阪の人々は夏になると、南部の堺市から高石市にかけての海岸に海水浴に
出かけた。歌枕の地で高師浜(たかしのはま)と呼ばれ、古くから白砂青松の景勝で知
られた。明治になって新田開発が計画された。明治6(1873)年、たまたま訪れた
大久保利通が、伐採される松林を惜しんで詠んだ。内務卿の一声で計画は中止となり、
一帯はわが国初の公立公園に指定された。浜寺公園である。
    「音に聞く高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり」
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浜寺公園・バラ園へ向かう
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松林から桜並木を・・・
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開けてきて金木犀も咲いている
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此の続きは、
10月18日の大阪府公園シリーズ 浜寺公園散策-2 として
            下記のメインブログへ詳細を投稿します。
           https://taharas-amami-nara.blog.ss-blog.jp/
続きは、浜寺公園・バラ園~
浜寺公園・バラ園(散策11:30昼食)
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バラ園の外へ
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噴水を見ながら昼食タイム
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此方の方がバラが咲いている
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浜寺運河を見に行く
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浜寺運河~浜寺公園~浜寺公園前駅~浜寺公園駅(12:17発)
浜寺公園
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松林は大阪緑の百選
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浜寺公園前駅(チンチン電車)
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浜寺公園駅へ向かう
旧駅舎が「カフェ駅舎」に・・・
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浜寺公園駅
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堺駅(乗換)→天下茶屋駅(大阪メトロへ乗換)→動物園前駅(12:45)
~徒歩10分~湯処 あべの橋へ

あべのハルカス
地上300m、日本一の高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」は、近鉄大阪阿
部野橋駅、天王寺駅各線と直結。 日本最大級の百貨店や展望台、美術館、ホテルな
ど多彩な店舗が出店しており、1日中お楽しみいただけます。 大阪随一の絶景とと
もに堪能できるランチやスイーツなど、絶品グルメも充実。
大阪観光なら日本一高いビル「あべのハルカス」へ!  ほんまでっせ!
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湯処・あべの橋温泉
天然温泉・・・大阪市港区の『天然温泉テルメ龍宮』から毎日搬送しています。
源泉名 龍宮温泉 1号 阪市港区2丁目3番33号  深さ  1,500m
泉質 ナトリウム塩化物強塩温泉   泉温 摂氏53.9度(浴槽温度40~42℃)
効能 ・神経痛・筋肉痛・関節・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身・くじき
   ・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・切り傷
   ・やけど・慢性皮膚病・虚弱体質・慢性婦人病
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銭湯で汗を流して
    昼飲み会へ14:30~17:00 8名参加 居酒屋 甘太郎 
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