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1月19日の酒蔵ハイク 喜多酒造「御代菊」-1

1月26日      1月19日の酒蔵ハイク 喜多酒造「御代菊」-1
             近鉄酒蔵ハイキング 歩程 7㎞
此の日は、知人の・O村さん+1名・I 田さん・K場さん・M吉さん達と6名で参加した
今年初めての近鉄ハイキング、素晴らしいハイキング日和で甘酒・ふるまい酒を堪能。
コース    橿原神宮前駅中央出口(10時集合)
橿原神宮前駅中央出口(受付・スタート)~橿原神宮~神武天皇陵~綏靖天皇陵~高市
御縣神社~今井町・交流館・蘇武の井公園(昼食)~おふさ観音~喜多酒造(解散)~
畝傍御陵前駅へ私を含め3名、橿原神宮前駅へ3名分かれて帰りました。
この日の私の万歩敬は、16738歩で焼く10㎞歩いた・・・、
志都美駅~香芝駅~下田駅へ乗り換え
鹿島神社
祀ってあるのは、「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」で、ふつう「鹿島
大明神(かしまだいみょうじん)」という。この神社は、承安(しょうあん)1
(1172 )年に源義朝(みなもとのよしとも)の家来であった鎌田小次郎政光が
常陸国(ひたちのくに)(現茨城県)の鹿島本宮の神を連れてきたのが始まりと
いう記録がある。伝承ではその時村人は塩餅 (しおもち)や押し飯(おしめし)
を作り、大喜びでお祭りしたという。
鹿島神社には、昔から「結鎮座」(けいちんざ)と呼ばれる氏子(うじこ)の集
団(宮座)があり、鎌倉時代の初期から記録が残されている。これは、約800年間
にわたる独特の伝統をもって今も生き続けている。日本の古い神社や寺には貴重な
古文書がたくさん伝わっているが、民間の宮座記録としてはこの「鹿島神社文書」
(かしまじんじゃもんじょ)が最も古い。昭和37年には奈良県指定文化財となり、
現在は奈良国立博物館で保管されている。
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橿原神宮前駅中央出口(受付・スタート)
橿原神宮前駅前の幸せの黄色いポスト
奈良県橿原市は、宮崎市との姉妹都市盟約締結50周年を記念し、近鉄橿原神宮
前駅中央口前に、幸せを願う黄色いポストを設置した。「思いを届けたい時にご
利用を」と呼びかけている。宮崎市青島は神武天皇ゆかりの地であり、橿原市は
神武天皇が橿原宮を開いた場所とされる。こうした両市は昭和41年2月に姉妹
都市の盟約を締結した。これを機に橿原市は、縁結びの神様として知られる青島
神社(宮崎市青島)近くの青島海岸に設置され、人気を集めている「幸せの黄色
いポスト」に着目した。
橿原郵便局の協力を得て2016年10月、黄色いポストを設置した。
※天孫降臨の地とされる宮崎県高千穂町にも黄色いポストがあるが、奈良県内で
は初めての登場となった。ポスト横の説明板には「あなたの大切な人にその思い
を届けたい時ぜひ、このポストをご利用いただければ幸いです」との市長のメッ
セージが・・・
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橿原神宮へ向かう
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大鳥居が見えてきた
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大鳥居をくぐって
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橿原神宮
橿原神宮は、畝傍山の東南の橿原市久米町に位置している。東征によって大和を
平定した神日本磐余彦尊かむやまといわれひこのみことは、この橿原の地に宮を
建てて、初代神武天皇として即位したと伝えられている。その宮址に新しく神社
を建てて神武天皇とその皇后の姫蹈鞴五十鈴姫命ひめたたらいすずひめのみこと
を祭神として祀ったの は、わずか120年ほど前の明治23年(1890)である。
日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。
天照大神あまてらすおおかみの血を引く神倭伊波禮毘古命かむやまといわれびこ
のみこと(後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の
宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山うねびやまの東南の麓
に橿原宮を創建されました。第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今から
およそ2,600余年前のことです。日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、
日本の原点です。
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畝傍山のふもとへ
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神武天皇陵へ向かう
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神武天皇陵(じんむてんのうりょう)
初代天皇とされる神話・伝説上の人物(在位:神武天皇元年1月1日 - 神武天皇
76年3月11日)。和風諡号は、『日本書紀』では「神日本磐余彦天皇(かんやま
といわれひこのすめらみこと)」、『古事記』では「神倭伊波礼毘古命」。又
幼名は「狭野尊(さののみこと)」諱は「彦火火出見(ひこほほでみ)」。日本
皇統の祖としている。神武天皇の即位月日とされる1月1日(旧暦)は、明治に入
り新暦に換算され、2月11日となり、日本国の建国の日として1873年(明治6年)
に「紀元節」(祭日)と定められた。紀元節は1948年(昭和23年)に廃止され
たが、1967年(昭和42年)に「建国記念日」として国民の祝日となった。
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綏靖天皇陵(すいぜいてんのうりょう)
第2代天皇(在位:綏靖天皇元年1月8日 - 綏靖天皇33年5月10日)。和風諡号は、
『日本書紀』では「神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)」、
『古事記』では「神沼河耳命」。神武天皇(初代天皇)の皇子。『日本書紀』
『古事記』とも系譜の記載はあるが事績の記述は少なく、いわゆる「欠史八代」
の1人に数えられる。 『日本書紀』によると、神渟名川耳尊は神武天皇42年1月
3日に立太子した。神武天皇76年3月11日に父天皇が崩御した際、朝政の経験に
長けていた庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)は、皇位に就くため弟の神
八井耳命・神渟名川耳尊を害そうとした。己卯年11月、この陰謀を知った神八
井耳・神渟名川耳兄弟は、神武天皇の山陵を築造し終えると、弓部稚彦に弓を、
倭鍛部の天津真浦に鏃を、矢部に箭を作らせた。そして片丘(奈良県北葛城郡
王寺町・香芝町・上牧町付近か)の大室に臥せっていた手研耳を襲い、これを
討った。この際、神八井耳は手足が震えて矢を射ることができず、代わりに神
渟名川耳が射て殺したという。神八井耳はこの失態を深く恥じたため、神渟名
川耳が皇位に就き、神八井耳は天皇を助けて神祇を掌ることとなった。 翌年
(神武崩御の4年後;綏靖天皇元年)1月8日に即位し、宮を葛城高丘宮に遷し
た。その後、綏靖天皇33年5月10日に在位33年にして崩御した。時に『日本書
紀』では84歳、 『古事記』では45歳という。安寧天皇元年10月11日、遺骸は
「桃花鳥田丘上陵」に・・・・
伝承:南北朝時代の編とされる『神道集』によれば、綏靖天皇には食人の趣味
があり、朝夕に7人もの人々を食べて周囲を恐怖に陥れたため、人々は「近く
火の雨が降る」との虚言を弄し、天皇を岩屋に幽閉して難を逃れたという。
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此の続きは、
1月19日の酒蔵ハイク 喜多酒造「御代菊」-2 として
       下記のメインブログへ詳細を投稿します。
       https://taharas-amami-nara.blog.ss-blog.jp/ 
続きは、高市御縣神社~
高市御縣神社(たけちのみあがたじんじゃ)
創祀年代は不詳だが、社伝によると成務天皇の御代に創立。 式内社・高市御縣神社
に比定されている古社で、高市県主に任ぜられた天津彦根命の後裔が祖神を祀った
神社。 大和には、幾つかの「御県に坐す神」が祀られている。延喜式では、高市、
葛木十市、志貴、山辺、曽布の六社でその中の第一位。
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今井町・交流館・蘇武の井公園(昼食)
今井町
かつて「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄した今井町。
現在も町の大半の町家が大切に保存され、江戸時代の姿を残しています。
江戸時代のまま残され、時代劇の撮影などにも使われる町並みは、世界的に貴重な
財産であり、平成5年には「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けています。
東西約600m、南北約310m、面積にして17.4haの地区内には、全建物数約1500棟
弱のうち、約500棟の伝統的建造物があり、全国で最も多い地区となっています

今井まちなみ交流センター華甍
奈良県指定文化財・旧高市郡教育博物館。今井町旧環濠外の東南部にある。2階建の
本館を中央に配し、両側に左右対称に翼廊がある。明治36年に建設された博物館で
あるが、昭和初年より約30年間今井町役場として使用されていた。外観は大和にふ
さわしく、和風的にまとめた県下では数少ない明治建築である。江戸時代の町並を
残す、今井町の町並みについての展示コーナー、映像シアターまた情報提供の図書
室等がある。
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飛鳥川沿いをおふさ観音へ向かう
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おふさ観音
寺のある地名と合わせて「小房(おふさ)観音」と呼ばれていて、正式名は高野山
真言宗別格本山観音寺といいます。本尊である十一面観音はもともと身体に健康を
授けると言われていましたが、近年ではそれ以外に厄除け、子授け、長寿と老人病
封じを願う人々が多く訪れるようになり、大和ぼけ封じ霊場会の札所にもなってい
ます。江戸時代にこの辺りは大きな池でがあり、ある日、土地の娘「おふさ」さん
が池のほとりを歩いていると、観音様が現れたというのです。この「おふさ」さん
が、観音様を奉られたのが、お寺の起源だとも言われています。
春と秋には、「バラまつり」が開催されイングリッシュローズを中心に約2,300種
類のバラが可憐に、優雅に咲き競い、夏には、風鈴の涼しい音色が厄を払うという
仏教伝来の思想から、「風鈴まつり」が開催され、2,000個を超える日本各地の風
鈴が展示されます。
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喜多酒造 ゴール(抽選会・試飲・甘酒振る舞い)へ向かう
此処から長蛇の列・・・
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漸く到着
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喜多酒造株式会社・・・HPより引用
喜多酒造は享保三年(1718年)、大和三山に囲まれた奈良橿原の地に創業いたし
ました。 初代・喜多利兵衞(きたりへい)は生来のこだわり者で、水と米を選り
すぐり、自身が納得いくまで酒屋として旗揚げしなかったと伝え聞いています。
そんな創業者の意思を受け継ぎ、私たちは300年におよび「美味しいお酒」にこ
だわり続けています。私たちが思う美味しいお酒とは、造り手の思いが飲む人の
心に伝わるお酒です。 喜多酒造は創業の心を大切にし、日本酒「みよきく」が歴
史と喜びを伝える大和の美酒として愛されることを誇りにしています。
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解散して3名は橿原神宮前駅へ、私を含め3名は畝傍御陵前駅へ帰る
畝傍御陵前駅~五位堂駅へ
五位堂駅
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二上山
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おまけ
自宅へ到着
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