9月7日の初秋の竹之内街道とワイン飲み比べ-1
9月10日 9月7日の初秋の竹之内街道とワイン飲み比べ-1
近鉄ハイキング古市駅~5㎞コース
此の日は知人の・O村さん・K場さんと3名で近鉄ハイキングに参加、今シーズン56回目、
未だ未だ残暑厳しく、8月の真夏のハイキングと変わらない暑さの中でのハイキング・・・
コース 近鉄ハイキング56ケ目のスタンプ
古市駅(9時40分集合)~白鳥神社~竹之内街道~西琳寺~ふれあいスポット竹之内~
石川を渡る(臥龍橋)~出会いの道~杜本神社~河内ワイン館(無料試飲有り)~飛鳥戸
神社~飛鳥ワイン(無料試飲有り)~上ノ太子駅
此の日の私の万歩計は、13452歩で約8km、最後の飛鳥ワインで葡萄果汁飲んで休憩。
古市駅(9時40分集合)
受付を済ませて日陰の白鳥神社で二人の到着をしばし待つ・・・
白鳥神社
白鳥神社縁起によると、もとは軽里西方の伊岐谷に創建された伊岐宮(いきのみや)が
本来の宮であったようだ。その後、戦火に追われ峯ヶ塚古墳墳頂に小さな祠として祀ら
れていたものが、慶長の大地震(1596年)で倒壊し荒廃していたものを、江戸時代初め
の寛永末期(1640年頃)に現在の地に遷座したと伝えられている。
祭神は、江戸時代には白鳥大明神、午頭天王(ごずてんのう)、婆利妻女(はりさいにょ)
の三神が祀られていましたが、現在は日本武尊と素戔鳴命(すさのうのみこと)が祀られ
ています。秋には、だんじりが町内をめぐり、大変にぎわいます。
※日本武尊
「古事記」「日本書紀」に登場する古代の英雄。景行天皇の皇子として生まれ、天皇の命
により九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えみし)と戦い、東国遠征からの帰途、伊吹山
の神にたたられ、伊勢国の能褒野(のぼの)で亡くなり葬られました。しかし、やがて白鳥
に姿を変えて飛び立ち、大和の琴弾原(ことひきのはら)を経て河内の旧市邑(ふるいち
のむら)に舞い降り、そこにも陵(みささぎ)(墓)が築かれますが、ついに、再び白鳥と化
して天に上ったといいます。
竹之内街道
春分と秋分の日、太陽は三輪山から昇り、二上山を超えて大阪湾に沈む。
このことから、推古天皇21年(613年)に東西の直線で敷設された幅20mを越える大道(竹
内街道・横大路)は、太陽の道と言われる。
古代には、大陸からの使節団が難波宮から飛鳥京を訪れ、先進技術や仏教文化を伝えた。
中世には経済都市を結び、近世には伊勢参りの宿場町としての賑わいを見せ、場所ごとに
様々な表情を浮かべる。
1400年の歴史の移り変わりを周辺の歴史遺産を通して感じさせる日本最古の国道。それが
竹内街道・横大路(大道)。
西琳寺(さいりんじ)
西琳寺(さいりんじ)は、応神朝後期の渡来した百済(くだら)の学者王仁(わに)博士が帰
化し、その後裔である河内の文氏が文化の発展に努めた際に、欽明天皇のときに自宅の
一部を精舎としたのが起源となっているといわれています。境内にある巨石は、仏教考古
学上でも珍しい形式の五重塔の心礎であり、約7500貫(28トン)の塔礎は飛鳥朝様式とし
ては最大級のものです。
ふれあいスポット竹之内
石川を渡る(臥龍橋)
出会いの道
飛鳥川の旧河川敷を利用して、古墳時代・飛鳥時代の時の流れや変化を表現した遊歩道
です。「人」・「時」との出会いの空間を創造しています。
竹之内街道
「緑の一里塚」の第7号
飛鳥川絵を渡り
河内ワイン館へ向かう
杜本神社(もりもとじんじゃ)
駒ヶ谷駅から東に約10分程歩いた宮山頂上付近にある神社です。現在の祭神は、経津主
命(ふつぬしのみこと)・経津主姫命(ふつぬしのひめのみこと)とされていますが、平安初
期には百済宿袮永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先の飛鳥戸氏(あすかべし)を祀る
神社であったようです。
藤原永継の子・冬嗣(ふゆつぐ)は、嵯峨天皇のときに起こった薬子の変を契機として設置
された蔵人所の初代蔵人頭に任命され、急速に力を伸ばしていきました。そして永継とそ
の祖先神を祀っていた杜本神社は、大・小の官社(式内社)とその祭神を記した『延喜式
(えんぎしき)』のなかでもっとも格式の高い名神大社として位置づけられ、宮中の月次祭
(つきなみのまつり)や新嘗祭(にいなめさい)には朝廷から勅使(ちょくし)が派遣されまし
た。その後織田信長の高屋城(たかやじょう)攻めの兵火を受けて焼失し、さらに豊臣秀吉
のときには所領を没収されるなど衰退していましたが、江戸時代に金剛輪寺(こんごうりん
じ)(杜本神社の神宮寺)の住職・覚峰(かくほう)によって再興されて現在に至っています。
祭礼は春が4月8日、秋が10月7・8日で、後醍醐(ごだいご)天皇・後村上(ごむらかみ)天
皇の書状や人身獣面の隼人石などが残されています。
此の続きは、
9月7日の初秋の竹之内街道とワイン飲み比べ-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
https://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、河内ワイン館~
河内ワイン館(無料試飲有り)
羽曳野市を中心とした南河内地方でブドウの栽培がはじまったのは、明治時代中期の事。
昭和に入ると、全国一の生産高も記録しますが、昭和9年の室戸台風により、ぶどう畑は
大きな打撃を受けます。
これを契機として、ブドウを原材料とするワインの生産を志した人物こそ、河内ワイン館を
営む株式会社河内ワインの創業者・金銅徳一氏でした。果実酒製造免許を取得した金銅
氏は金徳屋洋酒醸造元を設立。以後、ワインをはじめとする数々のお酒を製造・販売しま
す。昭和53年には地元で収穫されたブドウを100パーセント使った「河内ワイン」を発売し、
河内ワインのブランド化がはかられました。現在の社名である株式会社河内ワインに名称
が変更されたのは、平成8年のこと。今回、ご紹介する河内ワイン館はその社名の変更を
契機として、平成9年に建てられています。
河内ワイン館の2階には、金徳屋洋酒醸造元時代の貴重な文物が展示されており、河内
ワインの百年近い歴史をうかがい知ることが出来ます。
今回のハイキングでは隣接する工場が試飲会場だったので此のワイン館には入らず・・・
飛鳥川沿いを
飛鳥ワインへ向かう
チョウヤ梅酒の葡萄畑が・・・
クリの木に実がたわわに・・・
飛鳥戸神社の参道の鳥居が・・・
飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)
竹内街道に沿う飛鳥の丘陵上に鎮座する神社です。平安時代中期、延長5(927)年に完成
した『延喜式』には名神大社として記載されています。現在は素戔嗚尊(スサノオノミコト)を
祭神としていますが、5世紀後半に来朝した百済の王族、琨伎王[昆支王](こんきおう)を祭
祀しているという説があります。
羽曳野市東部から柏原市南部にかけての地域は、古代の安宿郡にあたり、琨伎王を祖と
する飛鳥戸造の一族の本拠地とされています。飛鳥戸神社の周辺には百済の横穴式石室
の構造と関係があると考えられる観音塚古墳や、渡来系氏族との関連が考えられる竈(かま
ど)や甑(こしき)などを表したミニチュアの炊飯具を副葬した横穴式石室をもつ、飛鳥千塚古
墳群があり、飛鳥戸造一族との関係を考える説があります。
門前の木陰のベンチで昼食休憩・午後神社本殿へ・・・
※飛鳥戸氏
河内飛鳥戸郡を本拠とする渡来系の古代氏族で、飛鳥部、安宿戸、安宿と書くこともありま
す。百済(くだら)の比有王(ひゆうおう)の子、昆伎王(こんきおう)が、雄略天皇の頃に日本
に渡ってきたのが始まり伝えられています。
飛鳥ワインへ向かう・看板が見えて来た
飛鳥ワイン(無料試飲有り)
飛鳥ワインは元はぶどう農家で、昭和9年に室戸台風によって傷んで市場に出せなくなった
ぶどうを何とか商品にできないか、とワイン作りを商売にしたのが始まりで、戦争の際に一度
酒造の免許を返納しているそうですが、先代がワイン作りのために免許を取り直し、以降続
いているそうです。
昔は状態が悪く売れない生食用のぶどう、デラウエア100%でワインを作っていたことから、
品質的には低いものが多かったそうですが、現在の飛鳥ワインでは除草剤や農薬をなるべ
く使わずにワイン用のぶどうやデラウエアでもワインに向くようにホルモン処理をしていない
ものを特別に育成し、上質なワインを作られています。
そのこだわりは、全国環境保全型農業経営コンクールにて奨励賞を受賞するほど。
また、2007年に大阪エコ農産物認証制度の認証を受け、認証を受けたぶどうのみを使用し、
加工してできた~飛鳥の秀逸畑シリーズ~“早摘みのデラウェア”は大阪エコ農産物観光品
第一号として認定されています。
先ず工場で試飲を済ませて・・・
2階のカフェへ
ワインや果汁を楽しみ此処で暫く休憩
上ノ太子駅へ向かう
上ノ太子駅前
私は、上ノ太子駅~道明寺駅
道明寺駅で柏原行へ乗り換え
近鉄ハイキング古市駅~5㎞コース
此の日は知人の・O村さん・K場さんと3名で近鉄ハイキングに参加、今シーズン56回目、
未だ未だ残暑厳しく、8月の真夏のハイキングと変わらない暑さの中でのハイキング・・・
コース 近鉄ハイキング56ケ目のスタンプ
古市駅(9時40分集合)~白鳥神社~竹之内街道~西琳寺~ふれあいスポット竹之内~
石川を渡る(臥龍橋)~出会いの道~杜本神社~河内ワイン館(無料試飲有り)~飛鳥戸
神社~飛鳥ワイン(無料試飲有り)~上ノ太子駅
此の日の私の万歩計は、13452歩で約8km、最後の飛鳥ワインで葡萄果汁飲んで休憩。
古市駅(9時40分集合)
受付を済ませて日陰の白鳥神社で二人の到着をしばし待つ・・・
白鳥神社
白鳥神社縁起によると、もとは軽里西方の伊岐谷に創建された伊岐宮(いきのみや)が
本来の宮であったようだ。その後、戦火に追われ峯ヶ塚古墳墳頂に小さな祠として祀ら
れていたものが、慶長の大地震(1596年)で倒壊し荒廃していたものを、江戸時代初め
の寛永末期(1640年頃)に現在の地に遷座したと伝えられている。
祭神は、江戸時代には白鳥大明神、午頭天王(ごずてんのう)、婆利妻女(はりさいにょ)
の三神が祀られていましたが、現在は日本武尊と素戔鳴命(すさのうのみこと)が祀られ
ています。秋には、だんじりが町内をめぐり、大変にぎわいます。
※日本武尊
「古事記」「日本書紀」に登場する古代の英雄。景行天皇の皇子として生まれ、天皇の命
により九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えみし)と戦い、東国遠征からの帰途、伊吹山
の神にたたられ、伊勢国の能褒野(のぼの)で亡くなり葬られました。しかし、やがて白鳥
に姿を変えて飛び立ち、大和の琴弾原(ことひきのはら)を経て河内の旧市邑(ふるいち
のむら)に舞い降り、そこにも陵(みささぎ)(墓)が築かれますが、ついに、再び白鳥と化
して天に上ったといいます。
竹之内街道
春分と秋分の日、太陽は三輪山から昇り、二上山を超えて大阪湾に沈む。
このことから、推古天皇21年(613年)に東西の直線で敷設された幅20mを越える大道(竹
内街道・横大路)は、太陽の道と言われる。
古代には、大陸からの使節団が難波宮から飛鳥京を訪れ、先進技術や仏教文化を伝えた。
中世には経済都市を結び、近世には伊勢参りの宿場町としての賑わいを見せ、場所ごとに
様々な表情を浮かべる。
1400年の歴史の移り変わりを周辺の歴史遺産を通して感じさせる日本最古の国道。それが
竹内街道・横大路(大道)。
西琳寺(さいりんじ)
西琳寺(さいりんじ)は、応神朝後期の渡来した百済(くだら)の学者王仁(わに)博士が帰
化し、その後裔である河内の文氏が文化の発展に努めた際に、欽明天皇のときに自宅の
一部を精舎としたのが起源となっているといわれています。境内にある巨石は、仏教考古
学上でも珍しい形式の五重塔の心礎であり、約7500貫(28トン)の塔礎は飛鳥朝様式とし
ては最大級のものです。
ふれあいスポット竹之内
石川を渡る(臥龍橋)
出会いの道
飛鳥川の旧河川敷を利用して、古墳時代・飛鳥時代の時の流れや変化を表現した遊歩道
です。「人」・「時」との出会いの空間を創造しています。
竹之内街道
「緑の一里塚」の第7号
飛鳥川絵を渡り
河内ワイン館へ向かう
杜本神社(もりもとじんじゃ)
駒ヶ谷駅から東に約10分程歩いた宮山頂上付近にある神社です。現在の祭神は、経津主
命(ふつぬしのみこと)・経津主姫命(ふつぬしのひめのみこと)とされていますが、平安初
期には百済宿袮永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先の飛鳥戸氏(あすかべし)を祀る
神社であったようです。
藤原永継の子・冬嗣(ふゆつぐ)は、嵯峨天皇のときに起こった薬子の変を契機として設置
された蔵人所の初代蔵人頭に任命され、急速に力を伸ばしていきました。そして永継とそ
の祖先神を祀っていた杜本神社は、大・小の官社(式内社)とその祭神を記した『延喜式
(えんぎしき)』のなかでもっとも格式の高い名神大社として位置づけられ、宮中の月次祭
(つきなみのまつり)や新嘗祭(にいなめさい)には朝廷から勅使(ちょくし)が派遣されまし
た。その後織田信長の高屋城(たかやじょう)攻めの兵火を受けて焼失し、さらに豊臣秀吉
のときには所領を没収されるなど衰退していましたが、江戸時代に金剛輪寺(こんごうりん
じ)(杜本神社の神宮寺)の住職・覚峰(かくほう)によって再興されて現在に至っています。
祭礼は春が4月8日、秋が10月7・8日で、後醍醐(ごだいご)天皇・後村上(ごむらかみ)天
皇の書状や人身獣面の隼人石などが残されています。
此の続きは、
9月7日の初秋の竹之内街道とワイン飲み比べ-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
https://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、河内ワイン館~
河内ワイン館(無料試飲有り)
羽曳野市を中心とした南河内地方でブドウの栽培がはじまったのは、明治時代中期の事。
昭和に入ると、全国一の生産高も記録しますが、昭和9年の室戸台風により、ぶどう畑は
大きな打撃を受けます。
これを契機として、ブドウを原材料とするワインの生産を志した人物こそ、河内ワイン館を
営む株式会社河内ワインの創業者・金銅徳一氏でした。果実酒製造免許を取得した金銅
氏は金徳屋洋酒醸造元を設立。以後、ワインをはじめとする数々のお酒を製造・販売しま
す。昭和53年には地元で収穫されたブドウを100パーセント使った「河内ワイン」を発売し、
河内ワインのブランド化がはかられました。現在の社名である株式会社河内ワインに名称
が変更されたのは、平成8年のこと。今回、ご紹介する河内ワイン館はその社名の変更を
契機として、平成9年に建てられています。
河内ワイン館の2階には、金徳屋洋酒醸造元時代の貴重な文物が展示されており、河内
ワインの百年近い歴史をうかがい知ることが出来ます。
今回のハイキングでは隣接する工場が試飲会場だったので此のワイン館には入らず・・・
飛鳥川沿いを
飛鳥ワインへ向かう
チョウヤ梅酒の葡萄畑が・・・
クリの木に実がたわわに・・・
飛鳥戸神社の参道の鳥居が・・・
飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)
竹内街道に沿う飛鳥の丘陵上に鎮座する神社です。平安時代中期、延長5(927)年に完成
した『延喜式』には名神大社として記載されています。現在は素戔嗚尊(スサノオノミコト)を
祭神としていますが、5世紀後半に来朝した百済の王族、琨伎王[昆支王](こんきおう)を祭
祀しているという説があります。
羽曳野市東部から柏原市南部にかけての地域は、古代の安宿郡にあたり、琨伎王を祖と
する飛鳥戸造の一族の本拠地とされています。飛鳥戸神社の周辺には百済の横穴式石室
の構造と関係があると考えられる観音塚古墳や、渡来系氏族との関連が考えられる竈(かま
ど)や甑(こしき)などを表したミニチュアの炊飯具を副葬した横穴式石室をもつ、飛鳥千塚古
墳群があり、飛鳥戸造一族との関係を考える説があります。
門前の木陰のベンチで昼食休憩・午後神社本殿へ・・・
※飛鳥戸氏
河内飛鳥戸郡を本拠とする渡来系の古代氏族で、飛鳥部、安宿戸、安宿と書くこともありま
す。百済(くだら)の比有王(ひゆうおう)の子、昆伎王(こんきおう)が、雄略天皇の頃に日本
に渡ってきたのが始まり伝えられています。
飛鳥ワインへ向かう・看板が見えて来た
飛鳥ワイン(無料試飲有り)
飛鳥ワインは元はぶどう農家で、昭和9年に室戸台風によって傷んで市場に出せなくなった
ぶどうを何とか商品にできないか、とワイン作りを商売にしたのが始まりで、戦争の際に一度
酒造の免許を返納しているそうですが、先代がワイン作りのために免許を取り直し、以降続
いているそうです。
昔は状態が悪く売れない生食用のぶどう、デラウエア100%でワインを作っていたことから、
品質的には低いものが多かったそうですが、現在の飛鳥ワインでは除草剤や農薬をなるべ
く使わずにワイン用のぶどうやデラウエアでもワインに向くようにホルモン処理をしていない
ものを特別に育成し、上質なワインを作られています。
そのこだわりは、全国環境保全型農業経営コンクールにて奨励賞を受賞するほど。
また、2007年に大阪エコ農産物認証制度の認証を受け、認証を受けたぶどうのみを使用し、
加工してできた~飛鳥の秀逸畑シリーズ~“早摘みのデラウェア”は大阪エコ農産物観光品
第一号として認定されています。
先ず工場で試飲を済ませて・・・
2階のカフェへ
ワインや果汁を楽しみ此処で暫く休憩
上ノ太子駅へ向かう
上ノ太子駅前
私は、上ノ太子駅~道明寺駅
道明寺駅で柏原行へ乗り換え
2019-09-10 10:58
nice!(3)
コメント(0)
コメント 0