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10月15日の兵庫五色塚古墳~舞子海上プロムナード-1

10月16日         10月15日の兵庫五色塚古墳~舞子海上プロムナード-1
                     10月歩こう会例会 兵庫  距離約6㎞
チョット遠かったのか参加人数は66名と振るわず?午前は曇り空だったが昼からは晴れ、
湿度も低く風も有りまさにハイキング日和、私の万歩計は13025歩で約7.8km歩いてた。
帰りに3名で大阪駅中でほろ酔いセット、生中でカンパイ?して帰途に・・・
コース  JR垂水駅西口~駅南側へ出て海神社境内 受付・10時出発 参加費@500円   
JR垂水西口~駅南側へ出て~海神社境内(受付・スタート)~垂水丘陵を登る~五色塚
古墳~明石海峡臨む海岸・アジュール舞子~舞子公園(昼食)~舞子海上プロムナード
散策(散策)~歩5分・JR舞子駅
志都美駅へ向かう
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志都美駅
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JR垂水西口~海神社境内(受付・スタート)
海神社・・・式内社 播磨國明石郡 海神社三座 名神大 月次新嘗 旧官幣中社
御祭神:底津綿津見神 中津綿津見神 上津綿津見神   相殿 大日孁貴尊
兵庫県神戸市にある。垂水駅のすぐ目の前にあり、海側に赤い大鳥居がある。
大鳥居には海側と陸側に、それぞれ扁額があり、海側の扁額には「海神社」、陸側には
「綿津見神社」とある。社号である海神社は、「わたつみ」と読むのだが、古記録には「あま」
「たるみ」などの読みもあると云われる。
由緒
今から千八百年前くらいの昔、神功皇后(ジングウコウゴウ)が三韓よりの帰路、暴風雨の
ため、どうしても御座船を進めることができなくなりました。皇后御みずから綿津見三神をお
祭りになり、御祈願されましたところ、たちどころに風波がおさまり御無事に都へ御還りにな
りました。その時神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに御社を建て、御神徳を仰
いだのが鎮座の由来であります。
この御神徳により、航海安全・漁業繁栄の神として仰がれることはいうまでもなく、さらに当
地が海上陸上を問わず、古代交通の要地であったことから、交通安全の神としても仰がれ
ております。
又海は万物をはぐくまる所、綿津見大神の娘 豊玉姫尊(トヨタマヒメノミコト)は彦火々出見
尊(ヒコホホデミノミコト)に嫁がれて、皇室の親である鵜鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノ
ミコト)をお産みになりました。そのとき大変安産であったところから、安産の神でもあり、彦
火々出見尊は満珠干珠(みつたまひるたま)の霊力によって水をつかさどり、厄難を去る神
であるところから、水産業・農業をはじめ水によって生計を立てる人の守護神であり、開運
厄除の神でもあります。
歴史r的背景
当社周辺からは縄文・弥生時代の住居跡・土器などが発掘されており、古来より人々がこの
地域で生活していたことがうかがえます。
また、当社西方約550mの所には兵庫県下最大の前方後円墳である五色塚古墳があり、
成立は二世紀末から五世紀初めとされ、瀬戸内海の海上航路の重要地である明石海峡大
橋を望む高台に造られています。
この墳丘を覆っていた茸石は、明石海峡を挟んで対岸の淡路島から運んできたものである
と云われている。このことから被葬者は、海事に従事していた人々を治め、この地域に勢力
をもっていた豪族であったと思われ、この時代からすでに海運が活発に行われていたことが
うかがえます。
以上のことから海事に関係の深い人々がこの垂水の地には多く存在していたと思われ、航
海術が未発達の当時、海上鎮護のため海大神を信奉する人々が社殿を設け祀っていたの
が始まりではないかと考えられます。
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此処は通らないので先に撮って・・・
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海神社スタート
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左側へ
垂水丘陵を登る
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五色塚古墳が見えて来た
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五色塚古墳
千壺古墳とも呼ばれ、4世紀後半に築かれた兵庫県下最大の前方後円墳。築造当時の姿
に復元され、雄大かつ高度な古代の土木技術を体感できます。また、淡路島や明石海峡大
橋の眺めは抜群です。
五色塚古墳は、4世紀後半に築造された県下最大の前方後円墳です。墳丘の大きさは、全
長194m、前方部の幅82.4m、高さ13m、後円部の直径125.5m、高さ18.8mで、周囲に周
濠を巡らしています。
3段に築かれた墳丘のうち、下段は地山を前方後円形に掘り残し、中段及び上段は盛土を
行っています。下段の斜面には小さな石を葺き、中段及び上段の斜面には大きな石を葺い
ています。中段及び上段の葺石は分析の結果、日本書紀の記述通り淡路島から運ばれた
ものでした。使用された石の総数は、223万個・総重量2,784トンと推定されます。墳頂と2段
のテラスには、鰭付円筒埴輪・朝顔形埴輪などを巡らしていました。その総数は、2,200本と
推定されます。
立地としては明石海峡とそこを行きかう船を見下ろすような場所にあり、海上交通の要衝を
占めています。このことから海上交通と関わりの深い有力者の墓と考えられています。
この古墳は神戸市が、国の史跡整備の第1号として補助金を得て、昭和40年から10年の
歳月をかけて整備したものです。整備後30年近く経た現在も優美な姿を留め、全国から見
学者が訪れています。
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小壷古墳・・・円墳
五色塚古墳と共に国指定史跡(五色塚(千壺)古墳・小壺古墳)に、1921(大正10)年指定。
直径67m・高さ9m、2段築成の円墳で周溝を備える。墳頂部やテラス面で円筒埴輪や家形
埴輪が出土しており、五色塚古墳と同じ5世紀初頭の築造と推定されている。
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五色塚古墳管理事務所へ向かう
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管理事務所前に集合
学芸員さんの説明を聞く・・・
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五色塚古墳に登頂?する
明石海峡大橋が眺められる風光明媚な円墳からの展望・・・
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此の続きは、
10月15日の兵庫五色塚古墳~舞子海上プロムナード-2 として
            下記のメインブログへ詳細を投稿します。
          https://taharas-amami-nara.blog.ss-blog.jp/
続きは、未だ未だ五色塚古墳円墳上~
五色塚古墳に登頂?円墳上・・・
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方墳部分にて
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舞子公園・アジュール舞子へ向かう
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明石海峡臨む海岸・アジュール舞子
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舞子公園
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明石海峡大橋の下の日陰で海を眺めながら昼食
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明石海峡大橋・舞子海上プロムナード散策(解散)
世界一のつり橋「明石海峡大橋」の神戸市側に添加施設として同時施工され1998年4月
5日に開設された舞子海上プロムナードは、海面からの高さ約47m、陸地から約150m、
明石海峡へ突出した延長約317mの回遊式遊歩道です。
海上プロムナード入口1階は明石海峡大橋をわかりやすく解説した資料やDVDシステム
があります。また8階展望ラウンジには明石海峡大橋の主塔の高さ約300mにのぼった気
分が味わえる展望カメラシステムがあり明石海峡大橋を眺望しながらゆっくり休憩してい
ただけます。スリルを体感したい人には「海上47mの丸木橋」をおすすめします。
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明石の時計台が見えたのでパチリ・・・
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解散~徒歩5分・JR舞子駅~神戸駅で新快速に乗り換え
大阪駅駅中で3名で居酒屋へ行き、ほろ酔いセット(生中に小鉢2) 税込@550円。
ほろ酔い気分で大和路快速に乗り換え、此処で歩こう会帰りの2名と出会い一緒に・・・

王寺駅~バスで帰る。とても快適なハイキングでした。
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