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9月24日の明日香稲渕の棚田と案山子と彼岸花巡り-1

9月30日         8月24日の明日香稲渕の棚田と案山子と彼岸花巡り-1
                    9月の歩こう会例会  10㎞コース
此の日は曇り空の中に参加者70名、途中からバスの案内もしていたが70名全員が完歩。
皆さんの日頃の行いが良いせいか雨には降られずハイキングを終わる事が出来ました。
此の日の私の万歩計は、21661歩で約12.9km歩いたことに・・・
コース  午後スタート時に石舞台古墳公園~飛鳥駅へバスの案内をしたが全員歩き。
飛鳥駅(受付・スタート10時10分)~高松塚古墳~欽明天皇陵~文武天皇陵横の休憩所
(トイレ休憩)~朝風峠下~稲渕の棚田&案山子ロード・彼岸花鑑賞・班毎の写真撮影~
男綱~石舞台古墳公園(昼食休憩・集合写真撮影)~玉藻橋~橘寺~川原寺跡~亀石~
村立聖徳中学校前~天武・持統天皇陵~国営飛鳥歴史資料館(休憩)~飛鳥駅
志都美駅
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此の日は生駒山と信貴山も・・・
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香芝駅~近鉄下田駅へ乗り換え
鹿島神社
祀ってあるのは、「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」で、ふつう「鹿島大明神(か
しまだいみょうじん)」という。この神社は、承安(しょうあん)1(1172 )年に源義朝(みな
もとのよしとも)の家来であった鎌田小次郎政光が常陸国(ひたちのくに)(現茨城県)の
鹿島本宮の神を連れてきたのが始まりという記録がある。伝承ではその時村人は塩餅
(しおもち)や押し飯(おしめし)を作り、大喜びでお祭りしたという。
鹿島神社には、昔から「結鎮座」(けいちんざ)と呼ばれる氏子(うじこ)の集団(宮座)が
あり、鎌倉時代の初期から記録が残されている。これは、約800年間にわたる独特の伝
統をもって今も生き続けている。日本の古い神社や寺には貴重な古文書がたくさん伝
わっているが、民間の宮座記録としてはこの「鹿島神社文書」(かしまじんじゃもんじょ)
が最も古い。昭和37年には奈良県指定文化財となり、現在は奈良国立博物館で保管
されている。
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飛鳥駅(受付・スタート10時10分)
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高松塚古墳へ向かう
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高松塚古墳
高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に
存在する古墳。藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)
及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見された
ことで一躍注目されるようになった。2009年に本来の形状に復元され、一般に公開されて
いる。壁画は石室の東壁・西壁・北壁(奥壁)・天井の4面に存在し、切石の上に厚さ数ミリ
の漆喰を塗った上に描かれている。壁画の題材は人物像、日月、四方四神および星辰
(星座)である。東壁には手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の日(太陽)、女
子群像が描かれ、西壁にはこれと対称的に、手前から男子群像、四神のうちの白虎とそ
の上の月、女子群像が描かれている。男子・女子の群像はいずれも4人一組で、計16人
の人物が描かれている。中でも西壁の女子群像は(壁画発見当初は)色彩鮮やかで、歴
史の教科書をはじめさまざまな場所でカラー写真が紹介され、「飛鳥美人」のニックネー
ムで親しまれている。人物群像の持ち物が『貞観儀式』にみられる元日朝賀の儀式に列
する舎人ら官人の持ち物と一致する。この元日朝賀の儀式には日月・四神の幡も立てら
れる。奥の北壁には四神のうちの玄武が描かれ、天井には星辰が描かれている。南壁に
は四神のうち南方に位置する朱雀が描かれていた可能性が高いが、鎌倉時代の盗掘時
に失われたものと思われる。天井画は、円形の金箔で星を表し、星と星の間を朱の線で
つないで星座を表したものである。中央には北極五星と四鋪四星(しほしせい)からなる紫
微垣、その周囲には二十八宿を表す。これらは古代中国の思想に基づくもので、中央の
紫微垣は天帝の居所を意味している。
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※高松塚壁画館
館内には、壁画の検出当時の現状模写、一部復元模写、再現模造模写、墳丘の築造状態、
棺を納めていた石槨の原寸模型、副葬されていた太刀飾金具、木棺金具、海獣葡萄鏡など
のレプリカを展示し、高松塚古墳の全貌をわかりやすく再現。

文武天皇陵横の休憩所(トイレ休憩)景色が素晴らしい
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※文武天皇
文武天皇(もんむてんのう、天武天皇12年(683年) - 慶雲4年6月15日(707年7月18日))
は、日本の第42代天皇(在位:文武天皇元年8月1日(697年8月22日) - 慶雲4年6月15日
(707年7月18日))。天武天皇と持統天皇の孫。
当時としては異例の14歳の若さで即位。祖母・持統太上天皇(史上初の太上天皇)のもと
で政務を行っていた。後の院政形式の始まりである。

朝風峠下へ向かう
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※朝風峠の地蔵さん
以前、朝風峠でガイドさんに下記の伝説を聞いた事が有ります。
明日香・栗原集落の朝風峠のお地蔵さん、右の肩の上が大きく欠けているのは、
「朝風地蔵」と平田集落にある「みみなほし地蔵」が争って、片方の「朝風地蔵」は
肩を取られ、片方の「耳なほし地蔵」は耳を取られた。というおもしろい言い伝え
があるそうです。

※耳なほし地蔵
平田集落にある「みみなほし地蔵」
此のみみなほし地蔵には「キリ」が多数奉納され、キリで穴が開けられる様に耳が
通り聞こえる様になる?というおまじないの様です。

稲渕の棚田&案山子ロード・彼岸花鑑賞・班毎の写真撮影
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棚田が素晴らしい
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フジバカマも咲いている
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今年のジャンボ案山子のモチーフは
「チコちゃん」・・・高さ6m、因みに昨年は「せごどん」だった。
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此の続きは。
9月24日の明日香稲渕の棚田と案山子と彼岸花巡り-2 として
            下記のメインブログへ詳細を投稿します。
           https://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、南海キャンディーの山ちゃん~
南海キャンディーの山ちゃんご夫婦
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男綱
※綱掛神事
綱掛神事は明日香村稲渕と栢森(かやのもり)に伝わる神事です。 稲渕は「男綱」、
栢森は「女綱」がかけられます。
子孫繁栄と五穀豊穣を祈り、飛鳥川と道路をまたいで綱を渡し、悪疫が川や道路を
とおって進入することを押しとどめ、住民を守護するための神事と言われています。
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石舞台古墳公園(昼食休憩・集合写真撮影)
※石舞台古墳
6世紀の築造。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳。その規模は日本最大級を
誇る。盛土が失われて、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼
ばれる。墳丘は1辺50mの方墳で、周囲には幅8.4mの濠がめぐる。石室の長さは19.
1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6m。石の総重量は推定2,300t、古
墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるという。この巨大古墳
が誰の墓なのかは不明であるが、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の
墓ではないかとの説が有力である。また、石室が露出しているのは、馬子の横暴な態
度に反発した後世の人が封土を取り除いたためともいわれている。周囲は芝生広場
になっており、春は桃やサクラ、秋は彼岸花が咲く。
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玉藻橋を渡って橘寺へ向かう
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橘寺
厩戸皇子(聖徳太子)生誕の地とされ、太子建立の七ヶ寺の一つです。建物は何度
も焼失し、現在の伽藍は江戸時代以降のものですが、美しいタチバナ形の塔心礎
が当時を物語っています。謎の石造物のひとつ「二面石」があるのもこの橘寺です。
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亀石へ向かう
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亀石
亀石(かめいし)とは、奈良県明日香村川原にある亀の形をした遺構。長さ3.6メートル、幅
2.1メートル、高さ1.8メートルの巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られていることからこの
名前で呼ばれている。ユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっている。
亀石伝説
言い伝えによれば、奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻(たいま)のヘビと川原のナ
マズの争いの結果、当麻に水を吸い取られ、川原あたりは干上がってしまい、湖の亀はみ
んな死んでしまった。亀を哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って亀の供養をしたという。
亀石は、以前は北を向き、次に東を向いたと言う。そして、今は南西を向いているが、西に
向き、当麻のほうを睨みつけると、奈良盆地は一円泥の海と化す、と伝えられている。
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※村立聖徳中学校前~
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天武・持統天皇陵
天武天皇とその皇后で皇位を継承した持統天皇の合葬墳墓。 直径50m、高さ6.36m。 円
墳とも八角墳ともとれるこの古墳の石室は八角形で、金銅製の蔵骨器がのっている。天武
天皇は古代律令国家体制の基礎を築き、持統天皇がその志を継いだ。また、持統天皇は
天皇として初めて火葬された人物としても知られる。鎌倉時代に盗堀された時の記録が残
されていたことから、被葬者が確実となった。
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※国営飛鳥歴史資料館(休憩)~飛鳥駅
国営飛鳥歴史公園館
国営飛鳥歴史公園4地区の施設や催し物の案内をはじめ、飛鳥地方の史跡や歴史を立体
模型や映像を用いて紹介しています。 誰にでも分かりやすい「飛鳥歴史アニメ」、タッチパネ
ルコンピュータで見る「飛鳥百景」など、飛鳥探訪の出発点となる施設です。
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